2007年10月29日
ビルマの竪琴のあらすじ
このストーリー大好きなんです。
本当に良いお話です。
1945年7月には、日本軍はビルマ(現在のミャンマー)でも連合軍の猛反抗に遭い,戦局は非常に悪くなっていた。日本軍のとある隊長は音楽をよくする人物で、自らの部隊の隊員に合唱を教えたので、隊員達は歌う事によって規律と慰めと団結を得ていたのであった。中でも若い水島上等兵は才があったため音楽に熱中し、楽器の演奏を得意として部隊でたびたび演奏を行っていた。
水島上等兵は戦闘中に隊長の命令で斥候に出かけるが、直後に隊は全員捕虜となり、ムドンの捕虜収容所に送られてしまう。消息不明となった水島上等兵を案じる隊員たちの前にある日、青いオウムを肩に乗せた水島によく似た青年仏教僧が現れる。隊員はその僧を呼び止めたが、僧は一言も返さず逃げるように歩み去った。
水島上等兵は三角山の戦いの後ムドンへ向かったものの、その道々で無数の日本兵の死体と出会い、愕然とした。そして自分だけ帰国することに心痛め、日本兵の霊を慰めるために僧となってこの地にとどまろうと決心し、白骨を葬って巡礼の旅を続けていたのだった。
物売りの話から隊長はおおよその事情を推察した。その物売りからオウムを譲り受け、「オーイ、ミズシマ、イッショニ、ニッポンヘカエロウ」と日本語を覚えこませた。数日後、隊が森の中で合唱していると大仏の胎内にいた水島はそれを聞きつけ、思わず竪琴を夢中で弾き始めた。隊員達は大仏の鉄扉を開けようとするのだが、水島は開けようとしなかった。
その夜、3日後に帰国することが決まった。隊員達は水島も引き連れて帰ろうと毎日合唱した。隊長は日本語を覚えこませたオウムを水島に渡してくれるように物売りに頼んだ。出発前日、水島がとうとう皆の前に姿を現した。収容所の柵ごしに隊員達は『埴生の宿』を合唱し、一緒に帰ろうと必死に呼びかけた。しかし、彼は黙ってうなだれ、『仰げば尊し』を弾く。祖国のメロディーに心打たれる隊員達を後に水島は森の中へ去って行った。
翌日、帰国の途につく隊長のもとに1羽のオウムが届く。そのオウムは「アア、ヤッパリジブンハ、カエルワケニハイカナイ」と叫ぶのだった。
引用:『ウィキペディア(Wikipedia)』
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